AS I WANT

様々なことを "As I Want" (私の好きなように) 考えるブログ。

平成と飛行機と私

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今週のお題「平成を振り返る」

 

私は平成の時代と共に成長し、大人になった。

小学校に入学したときが平成元年で、それから平成の年数と共に学年を重ねたから、直感的に平成と自分の成長が同じスピードであることを理解していた。例えば平成6年度が小学校卒業で、平成9年度が中学校卒業と共に義務教育終了だ。だから平成と西暦の読み替えで苦労したという記憶はあまりない。

平成という時代は、人によって感じ方は違うかもしれないが、私にとってはこの31年間で子供から大人になり、自分自身と社会の変化を目の当たりにした、本当に長く感じる時間だった。小学校の記憶は遠い昔だが、それだけ昔から平成の時代だったのだ、と思うと、平成は長かったのだ。

 

私が初めて飛行機に乗ったのは小学校6年生の夏だから、平成6年のことである (こういう表現の時にわざわざ計算しなくて済むから楽なのだ)。

初めての空の旅が、家族旅行でのハワイ旅行だった。

バブルはとっくに弾けていたが、我が家は田舎にあり、バブル全盛期もそこまで恩恵を受けていなかったようなので、日本の経済がひっくり返って大騒ぎしていた間も、特に生活に浮き沈みはなかった。バブル崩壊のおかげで海外ツアーの代金が値下がり、田舎の一般家庭でもハワイ旅行に手が届くようになったのは、むしろ我が家にとっては有難かったのかもしれない。

初めての飛行機はJALボーイング747-300 (いわゆるジャンボ) で、今はソラミミストとして有名な安斎肇先生がキャラクターデザインを手掛けた「リゾッチャ」仕様の機材だったと思う。

薄紫色でクッションがよく効いた分厚い背もたれのエコノミーシートには、今のように個人モニターもないし、オーディオイヤホンは聴診器のような形で空洞のパイプをひじ掛けにめり込ませて使うクラシックタイプだった。もちろんオーディオチャンネルはダイヤル式である。

空港で搭乗までどうやって待っていたのかは記憶にないが、チェックインカウンターの前にはエックス線の荷物検査機があり、搭乗手続きの前にそれを通過するための大行列に並ばされた記憶だけはある。

夜に成田を出発する便で、飛行機に乗ってからはずっと暗闇の中をただ飛び続けてハワイに向かった。機内では天井に据え付けられた巨大な3色式のプロジェクターによって何かしらのビデオが上映されていたが、飛行機が揺れるたびに映像が乱れていた。

子供の目線では、ジャンボはあまりに巨大な空間で、機内はまるで迷路だった。座席の狭さを感じることもなかったし、トイレに向かうだけでも興味津々だった。各区画の最後尾座席の後ろに掲げられた、出発地と到着地の2都市の現在時刻を表示する電光表示のデジタル時計があったことをはっきりと覚えている。

機内のどのあたりに座っていたかはわからないが、安いツアーだからきっと後ろのほうだったのだろう。一番後ろのドアの出っ張りに腰掛け (今は禁止されています)、真っ暗て見えないはずの外の様子を飽きずにずっと見ていた。

 

小学6年生の男児が、スーパーにメカニカルなジャンボジェット機の虜になるには時間はかからなかった。大体の小学生男子は、白線から落ちずに家まで帰り、校庭の隅で最高に硬い泥団子作りに没頭した後は、鉄道や車などのメカニカルな世界に興味の段階が成長する。私もまさにそうだった。

それからは少しずつ飛行機に興味を持ち出し、近所の旅行会社の店先に立てかけてある航空会社の無料航空時刻表を時々学校帰りに頂戴して、時刻表と睨めっこしながら空想で空の旅をするという趣味を形成した。

当時はボーイング727こそ引退していたものの、まだロッキード・トライスターやDC-10が飛んでいた。最新鋭のボーイング747-400が花形だった時代だが、今思えば機材のバリエーションが豊かな時代だったと思う。

 

それからは、中学、高校と、年に1度の家族旅行で飛行機に乗る機会はあったが、体は成長しても心は少年のままで、両親には言えなかったが内心飛行機に乗ることを相当楽しみにしていた。

思えばこの頃から、空を飛ぶ仕事がしたいと思うようになったのかもしれない。

 

 

あれから約20年。

脳内で空の時刻表旅行を密かに楽しんでいた少年は、当時願ったように、日々大空を飛び回るサラリーマンになった。

だが最早、空を飛ぶことへの高揚感は失われ、電車やバスに乗るのと同じ感覚で飛行機に乗り、飛行機は貴重な睡眠時間を得るための揺り籠と同等の扱いになってしまった。時に年間200回以上も国内線に乗ることもあったし、最近では毎月2~3回の国際線搭乗が当たり前である。これまでに地球65周分、時間にして約180日間も雲の上を飛んでいるらしい。

平成一桁の時代に思い描いた自分の未来予想図とはちょっと違う気がする。夢に見たような華やかな世界ではないけれど、それでも日々空を飛び、世界を巡っている。これが慣れだと言われればそれまでだが、飛行機に乗ることがそれほど特別でなくなったのは、私のこの仕事のせいなのか、それとも飛行機の旅自体がより身近になったのか。いや、そのどちらかもしれない。少なくとも、旅客機自体はより安全に、より先進的になり、空の旅は格段に快適になったことは間違いない。

平成の30年余り、航空の世界は確実に成長し、発展してきた。昭和の63年間の発展も目覚しいものがあったが、平成の30年はそれよりも急速に航空業界は発展した。数千円で誰もが飛行機に乗って、気軽に旅行ができるような時代が来るとは、誰が予想できただろうか。

 

空の旅に夢見る少年時代にはじまり、空の上で睡眠を取るような社畜サラリーマンになるまでの30年が、私にとっての平成の時代だ。

最近では、乱気流くらいの激しい揺れが、ちょうど心地よい眠りを誘う揺り籠である。